京つう

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2007年12月07日

悲願達成間近(広島の話)

当家吉田家では昔広島市内に稽古場がありました。

昭和41年(1966年)に糸崎のお弟子様の関係で光町のお弟子様宅にできました。

その関係で私も生まれてから広島にはよく参り、
夏には江田島のお弟子M様宅にずっと泊まったりして本当に可愛がってもらいました。

広島駅ついたら観光ビル上の寿司屋でご飯たべて締めにお好み焼き食べてました。

その創立から29年緑町、木松旅館、ささき別荘と、
お稽古場を移しながら続けておりましたが、
残念ながら私を一番可愛がって下さったM様が、
平成7年(1995年)に亡くなられたのと同時に稽古場は閉鎖されました。

当時私は住み込み書生中でお葬式どころか墓参りにも参れず、
平成13年(2001年)独立してすぐ江田島に参り泣く泣く線香あげました。

またその稽古場にお越しだったお弟子様の一人の方は、
今尚尾道まで稽古お越し下さっています。

私が独立して東へ普及活動の手を伸ばし岐阜で稽古場ができ、
名古屋や東京でイベントをぶてるようになった平成16年(2004年)さる日、
父に呼び出されました。

『ここ数年で三原の稽古場がなくなる!』と…。

『尾道薪能やめなあかんかもしれん!』と…。

私が東へ普及の手を伸ばすのは父が西に祖父が作った地盤を守ってこその話です。

なんぼ東で広がっても祖父からの地盤が潰れたのでは全く意味ありません。

それからの3年私は時間があれば広島に行き様々なとこで必死に動きました。
(動きすぎでたしなめられた事もしばしば…)

残念ながら三原の稽古場は守れませんでした。

ですが尾道薪能はご存知の通り、
昨年広島文化賞を受賞し年々お客様数も増え初めの頃の勢いを取り戻しています。

そして、そして!

ついに来年1月私の稽古場が広島にできます。

厳密にゆうと広島市ではなく安芸郡府中町にです。

府中吉田嘉謡社とするか広島吉田嘉謡社とするか、
新しく創立とするか29年の止まった時計をまた動かすかは何も相談していませんが、
とにかく、父の、私の悲願が実る日が来たのです。

初めての稽古日の1月9日には稽古に参る前に、
江田島まで手を合わせに参りたいと思います。

という事で!

広島県下の皆様!

月2回私は広島に参ります。

という事は今まで以上に嵐が吹き荒れます。

能楽普及という嵐です。

げっ!と思われた方、ご覚悟を!



追伸・さる方から広島県内においての私の月謝値段についてご意見頂戴しました。

それを受け大変申し訳ないですが下記のように改定させていただきます。

若い方には大変な値段になってしまいましたがその分年齢上がっても基本一緒です。

何卒よろしくお願いいたします。


月謝は月2回で、
小学生以下は2000円(仕舞のみ)・3000円(謡と仕舞)、
中・高生は3000円(仕舞のみ)・5000円(謡と仕舞)、
大学は4000円(謡のみ)・6000円(謡と仕舞)、
28才までは特別料金で5000円(謡のみ)・7000円(謡と仕舞)
28才以上一般は7000円(謡のみ)・10000円(謡と仕舞)

※上記は私の交通費・稽古場代を含みます。

※一般の月謝には1000円分の後援会費も含みます。  


Posted by 吉田 篤史  at 20:38Comments(2)能楽師の毎日