福山吉田嘉謡社創立45周年記念謡曲大会

吉田 篤史

2014年06月12日 05:51

3月30日

広島県下には、昔、趣味習い事として習っていただく稽古場が、
尾道・鞆・三原・広島・福山とあり、
それぞれの創設を祝って、5年周期で記念会を催ししていました。

残念ながら、三原の稽古場はなくなってしまったので、現在は、残り4つのみ!

今回は、福山の稽古場、45周年記念の謡曲大会を、大島能楽堂にて行いました。

子供たちがいるから前日から泊まりたかったのですが、ちと金欠により、当日移動!

天気予報で雨予報だったので、最寄り駅の向日町駅まで徒歩6分弱とはいえ、
大荷物を持って、子供2人を連れての移動が大変なので、
前もってタクシーを頼んでおき、エレベーターのある、一駅向こうの桂川駅に、
向かいました。(ありがたい事にその後、向日町駅にもエレベーターできた)

結局、当日その時間雨は降っておらず、タクシー乗る必要なかったのだけれども…。

桂川駅からホームに降り、来た電車に乗りました。

携帯を触っていると、妻から、「次、向日町駅ってゆってるけど!?」

はい、乗り降り慣れてない桂川駅、進行方向、京都駅側に乗らなくてはいけないのに、
間違えて、大阪側に乗ってしまいましたーーーー!ガーン

ギリギリの新幹線乗り継ぎ予定だったので、当初の予定の新幹線乗れず、
福山は止まるのぞみと、止まらないのぞみとあり、
大幅に遅れて、福山に着く事になりました。

父に連絡し、開演10分ほど前に、会場に到着!

急いで、私は着替え、その間に次男だけお客様既に入っているけれど、
初舞台の仕舞なので、場所確認のために歩かせて、
何とか、会自体には、間に合いました。

遠方の会で、舞囃子も出、囃子方の先生方にも出勤たまわり、
師匠を始め、同門の諸先輩方にもお手伝いいただき、
盛会に、記念会を催しさせていただきました。

長男は、初めから最後までずっと紋付き袴で、舞台に出てない間も、
切戸口(皆が出入りする扉)の開け閉めや、舞台に敷く毛氈や、本を置く見台の出し入れ、
手伝いに、1日働くようになりました。

次男は、まだまだ3才児、舞台をつとめた、ってなレベルではありませんが、
無事に、舞台に上がり、何とか終えました。

後席は場所をかえて、福山駅前のニューキャッスルホテルにて!

皆様と楽しい時間を過ごさせていただき、両親と共に、ほろ酔い気分で帰りました。
(親子共々、後席会場に携帯電話を忘れて帰る、ってな尾ひれのハプニングも)

私の記憶が間違えてなければ、来年は尾道の創立70周年記念会、
そして再来年は、亡き祖父がプロの能楽師として、吉田嘉謡社とゆう会を作ってから、
80年を記念して、京都にて、全国大会の意味をもつ、記念会を開く予定です。

祖父が作り、父が守ってきたものを、たぶん近い将来、
完全に受け継ぐ事になるだろうと思います。
(できるだけ長生きして元気でいてくれて遅くなる方がいいけど)

創立100周年とゆう、大きな節目も、見えてきています。

その頃には、長男は継いでくれていたら、能楽師の看板をもう持ってるでしょうか?
(次男は修行中かな?)

100周年を祝う事ができるよう、祖父や父の思いを継いで、これからも頑張ります。






































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