2007年04月28日
湊川神社


今日は神戸の湊川神社神能殿(中央区多聞通3丁目1)で、
井上同門定期会でした。
この湊川神社神能殿はほかの舞楽殿や神能殿に比べ、
物凄く立派で完全な能楽堂仕立てになっております。
この神能殿を建てるにあたり、
観世流の能楽師や鹿島建設の力がなければ、
建つ事は叶わなかったと思います。
では、なぜ観世流が?
なぜ鹿島建設が?
という事を説明いたします。
湊川神社の御祭神は楠木正成公(大楠公)です。
能楽の始祖は観阿弥・世阿弥です。
生家は伊賀の服部家です。(あの伊賀の服部家です。)
観阿弥の母上は大楠公の妹でした。
勿論当時伏せられていました…。
この事は観阿弥の祖父家にあたる上島家の古文書、
『観世福田系図』によって明らかになりました。
ですが観世福田系図は改竄された物として発見された当時は、
歴史上受け入れられなかったのですが、
播磨の名門永富家の古文書によって意見が覆りました。
永富家は鹿島建設創始者、故鹿島守之助の生家で、
何十代も前の永富恵仁が観阿弥の父服部元就と兄弟でした。
こういった縁戚関係から湊川神社の神能殿を建てるにあたり、
尽力をつくされたわけです。
皆様も血縁を大切にしていきましょう!(笑)
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