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2007年04月17日

尾道薪能の沿革・3


2004年1月、尾道互礼会にて父と私の二人で、
祝舞『羽衣』を装束を着けて行いました。
時の人亀井代議士もお見えでなるほどテレビでお見かけするより、
オーラがあり舞台からでもすぐわかりました。
父の考えに従い後の宴会は欠席しましたが、
この後から父とは別に、
私は私で尾道薪能の為独自に行動するようになりました。

2004年5月6日、尾道市長と教育長などお世話になっている方々に、
初めて今までのお礼と今後のお願いに挨拶に参りました。
特に教育長には学校教育に取り入れて頂くようお願いしました。

2004年5月8日、第13回尾道薪能、演目は『吉野天人』でした。
昨年からの新しい形での演能に興味を抱いて下さったのか、、
観客数は595人でした。

2004年6月、先日の尾道薪能を取材にお越しになり、
それがJR新幹線グリーン車席に1部ずつついている、
『ひととき』という雑誌で薪能特集で巻頭数ページ、
尾道薪能が紹介されました。

2004年5月~、前記の教育長との話より尾道市立久保小学校にて、
総合学習の一環として1ヶ月に1度仕舞と謡を、
ボランティアにて行うようになりました。

2005年3月、久保小学校の発表会が同校体育館で行われました。

2005年5月、引き続き久保小学校の総合学習で、
月1回謡と仕舞の稽古を行いました。

2005年5月、昨年『ひととき』雑誌に掲載された1枚の写真が、
表紙になり『あらすじで読む名作能50』が出版されました。

2005年5月14日、第14回尾道薪能、演目は『清経』でした。
昨年が静かな演目内容だった為か観客数は減少し484人でした。

2006年3月、久保小学校の発表会と、
能楽をご存知ない人の為の講演会を教育委員会主催の下、
テアトル・シェルネで行われました。

2006年5月、尾道ロータリークラブ・因島ロータリークラブ・
如水館中学校にて、能楽講演を行いました。

2006年5月13日、浄土寺再興700年祭特別記念第15回尾道薪能、
演目は『車僧』でした。
前日より雨が降っており、
本来雨天会場の浄土寺研修道場だったのですが、
急遽観客席にテントを張り雨天時もそのままの会場になりました。
始まるまでスタッフ一同てんやわんやでしたが、
運良く演能前に雨も止みお客様方にお足元は悪かったとはゆえ、
大変なご迷惑はかけずに演能できました。
観客数はさる方のご厚意でチラシ・ポスターが、
カラーになったとゆう事もあり607人と増加しました。

2006年8月、能楽の普及活動として広島県教育委員会より、
修学旅行における能楽堂での能楽講演を全県内小学校に提案しました。

2006年9月、尾道市立の久保小・高須小・福山市立鞆小学校にて、
修学旅行に能楽体験コースを取り入れてもらい講演しました。
たくさんの感想文を頂戴してやって良かった!
と心底思いました。

2006年11月2日、第5回尾道・源氏絵まつり特別奉納として、
全ての光源を蝋燭でとる、蝋燭能『源氏供養』を、
浄土寺阿弥陀堂内にて観客数120席限定という形で行いました。
薄暗い中蝋燭の火に灯され能楽が行われ面や装束が生き、
まさしく幽玄という世界が更に増した舞台になりました。

2006年11月28日、能楽普及活動と尾道薪能の功績により、
財団法人ひろしま文化振興財団より、広島文化賞を受賞しました。
関わったスタッフ一同大変名誉で有り難く思っています。

2006年12月、受賞記念の祝賀会を尾道市内の料亭、
『魚信』にて行いました。
市長・教育長やひろしま文化振興財団の理事の方にもご出席賜り、
盛大に行われ尾道薪能の飛躍と文化を次世代に繋いでいく為に、
更なる文化活動を行っていく事をスタッフ一同心に刻みました。

2007年2月21日、尾道市内に本社がある啓文社(本屋)に、
全店舗にて切符取扱いの契約に行きました。

同日、久保小学校の発表会と能楽の講演会を教育委員会主催の下、
テアトル・シェルネにて行いました。

同日、広島市内にて茶ろ夢会に出席し飛び入りで能楽講演しました。

2007年3月5日、広島市内にて『ひろしまきもの遊び』の代表に会ったり、
県・教育委員会・観光協会・ひろしま文化振興財団など挨拶に参りました。

2007年3月6日、尾道東ロータリークラブにて能楽講演いたしました。

2007年3月31日、広島ホームテレビにて尾道薪能が報道されました。

2007年4月11日、中国新聞に尾道薪能がとり上げられました。

2007年5月10日11日、尾道市・瀬戸田・広島市にて、
能楽講演予定です。

また別のテレビ局にて尾道薪能が報道される予定です。

そして5月12日、広島文化賞記念第16回尾道薪能が行われます。
昨年の雨を受け今年は初めからテントを張り、
晴れならば一番後ろのテント2基だけ残して、
テントを外す、という逆の発想で緊急時に備えた形で行います。
昨年の観客数は勿論ですが今年は800席の椅子を用意いたします。
空席ばっかりやったらどないしよう!(笑)

ー終わりー
尾道薪能会場地図はこちら  


Posted by 吉田 篤史  at 20:48Comments(0)尾道薪能

2007年04月17日

尾道薪能の沿革・2

1998年5月16日、おのみち百祭・発見!
ひろしま協賛第7回尾道薪能、演目は『井筒』でした。
朝から雨が降っており、
会場を浄土寺よりベイタウン尾道センターホールの室内に移し、
バタバタの中行われたのですが、
残念乍雨の影響で観客数も大幅に減り、577人でした。

1999年3月、瀬戸内しまなみ海道開通記念イベント前夜祭にて、
尾道駅前特別海上ステージで『羽衣』が演能されました。
船の上のステージでいろいろと大変だったそうですが、
私は師匠家に住み込みの書生に行っていたので参れませんでした。

同年5月15日、瀬戸内海大橋完成記念イベント・
しまなみ海道’99協賛、第8回尾道薪能、演目は『熊野』でした。
今まで会場を基本浄土寺にしていたのですが、
設営費の問題から会場をしまなみ交流館にして行われました。
観客数は591人と前年同様少ない人数でしたが、
設営費がかからない分大幅な黒字集計でした。

2000年5月12日、第9回尾道薪能で、演目は『鵜飼』でした。
会場は元の浄土寺境内特設舞台でしたが、
年々の観客数減少を止められず531人でした。

2001年、5月12日、第10回尾道薪能、演目は『胡蝶』でした。
観客数は643人でした。
今のところ父が尾道薪能でシテ(主役)を勤めた最後の舞台です。

2002年1月1日、私こと吉田篤史が、
師匠家での7年間の住み込み修行を終え、独立しました。

2002年5月18日、第11回尾道薪能、演目は『鐘き』でした。
私にとって一生涯忘れる事のない舞台になりました。
独立してすぐですが、父より譲り受け、
今回より尾道薪能にてシテ(主役)を勤める事になりました。
当日の天気予報は晴れで、たしかにお昼過ぎには晴れ渡る天気でした。
1時間前ぐらいから雲行きが怪しくなり、
開演10分前ぐらい前から雨が降り出しました。
通り雨だろうとそのまま進行しようとしたのですが、
どんどん雨が強くなり、止む気配もありません。
今更雨天場所の尾道駅前『テアトル・シェルネ』に移る事もできません。
父も私も半泣き状態!
苦肉の策で浄土寺の研修道場に場所を移し演能。
お客様も演者もごった返しになり、
多数の皆様に多大な迷惑をかけた舞台となりました。
入場者数は556人で、お客様を含め関係者全ての方、
申し訳ございませんでした。

2003年5月、瀬戸内しまなみ大学・おのみち市民大学公開講座で、
テアトル・シェルネにて父と私が講演いたしました。
解説・能衣装の着付け実演・仕舞体験・実演が主な内容です。

2003年5月17日、第60回尾道みなと祭協賛、
第12回尾道薪能、演目は『放下僧』でした。
昨年の雨がこたえ私自身の考えを押し通し、
今までの特設舞台を組むのを止め、
阿弥陀堂を境内に開け演者は阿弥陀堂にて行い、
お客様は境内に椅子を並べて見ていただく形にしました。
これによりただ浄土寺の境内の中で行われる薪能だったのが、
国宝や重文の建物・ライトにより眩いばかりの光を放つ阿弥陀様、
その中で650年の歴史を誇る世界無形遺産の能楽が行われるという、
私の理想の催しとなりました。
残念乍初めての試みゆえ観客数には反映されず、
昨年の雨のあまりにも多大な影響ゆえ477人でした。  


Posted by 吉田 篤史  at 20:27Comments(0)尾道薪能

2007年04月17日

尾道薪能の沿革・1

尾道薪能の会場はこちら
ずっと書きためていた物がやっとまとまったのでアップします。

かなりの長文ですのでご覚悟を!

1992年1月1日、歴史の街・文化の町・
開港800余年を誇る尾道にあります浄土寺にて、
「尾道足利氏ゆかりの会」より、
1992年8月13日(木)≪旧盆7月15日満月の日≫
尾道市内で文化的事業を行えないかと相談を受け、
能・狂言といった日本古来の伝統芸能を、
広く鑑賞してもらうことを目的として、
尾道薪能実行委員会が発足しました。
また、実行委員会の主なメンバーは、
尾道薪能の主な演者である重要無形文化財能楽(総合指定)
観世流シテ方・吉田潔司に、謡曲・仕舞を習ってられる、
お弟子様方です。

1992年8月13日、第1回尾道薪能、演目は『屋島』でした。
浄土寺境内に、特設舞台を作り、暑い暑い夏に行われました。
入場者数は、993人でした。

1993年5月12日、第2回尾道薪能、演目は『羽衣』でした。
昨年あまりにも暑かったので、2回目より今の月日に移りました。
観客動員数は1061人でした。

1994年5月14日、第3回尾道薪能、演目は『葵上』でした。
演能中に雨が降ってきましたが、強引にそのまま演能しました。
おかげで装束泥だらけ!(泣)
途中で雨が降ったにも関わらず、
観客動員数は今までで最高で1329人でした。

1995年5月13日、SunSunHiroshima21協賛第4回尾道薪能、演目は『田村』でした。
前年度の雨で人数が減少し、観客数は1041人でした。

1996年5月18日、SunSunHiroshima21協賛第5回尾道薪能、
演目は『杜若』でした。
第2回目から4回目まで続いていた観客数1000人を下回り813人となる。
また尾道薪能実行委員会の母体の当家のお弟子様もこの頃より減少しだす。

1997年5月10日、第6回尾道薪能、演目は『巴』でした。
観客数は829人でした。
この頃より毎年1回1回が最後の催しになるのでは、
という危機感の元薪能を行っていました。
  


Posted by 吉田 篤史  at 20:18Comments(0)尾道薪能